橘屋の記録

色々な日常的な呟きとヲタ話。腐ネタ嫌いな方は見ないように

悩むことは

以前お会いしたやんちゃ和尚様。
本当に素晴らしい人でした。できればもっと早くにお会いしたかった。

私の病気の根底は
【母親】というキーワードで成り立っています。

それは自分であったり、私の実母であったりします。

 

私は産まれてから母に抱かれたのは見せびらかすときだけで、良く肌着のまま一人部屋で泣いていたそうです。

やがて酒に酔った父親の虐待に周りが気付き、諸々あって児相が入りました。
それを機に親が離婚する際親戚中をたらい回しにされました。

小学校3年生のころやっと親と一緒に暮らせるようになったときには

母娘というより他人に近いものでした。

欲しいものを欲しいと正直に言えない。妹のように明るく接することができない。

自分の伝えたいことはすべて【言い訳】で殴られ、蹴られ、叩かれました。

 

好きになったことは片っ端から否定され、「お前は何もできない使えない女」とよく言われました。

土日、夏休み等の長期休暇は両親ともに仕事のため、朝起きてご飯を作り、洗濯をして掃除機をかけ、洗濯を干す前に布団を干す。そして干した洗濯物が乾くまでつかないテレビを横目に妹にお昼を作り、洗濯ものを取り込みたたんで、しまう。
布団はしっかり埃を叩き戻す。

そうすると今度はお風呂掃除。
夕飯のご飯を炊いて親を待つ。

テレビが付かないのは「テレビを見ると何もしなくなるから」という理由。

アイドルやドラマ等々話も合わなくなり、なおさら見せてもらえるものはかろうじてドリフかひょうきん族。もしくはニュースのみ。
だからどんどん友達がいなくなる。

 

 

色々こみ上げるものの中に「絶対こういうことはしたくない」という決まりを作った。

このまま生きていくために自分の中に大きな囲いをどんどん作っていった。

①自分の子供ができたら【一番やりたい】ことは応援する

②自分の子供ができたら【子供の行事】を大切にする

③自分の子供ができたら【楽しい何でも言える】お母さんになる

④自分の子供ができたら…

 

その決まりを書きながら泣いた夜。

 

住職様は笑いながら言いました

「貴方は表面上は親だからと許したつもりでいるだろうけど、貴方は赦してないんだよ」

 

確かにそうかもしれない。

何も親と思い出のない私と親と常に一緒にいた妹と。

不自由な私と自由な妹。そして弟が生れ。

私は彼が小学校に上がると同時に家を出る。

 

失敗もたくさんした。やっちゃいけないこともあった。

でも誰からも何も言われない瞬間があることがうれしかった。

 

だから許す、という事を考えたことはなかった。

 

人は歳をとると昔の話をよくしてくる。

私にも当然してくる。

ごめんね、ごめんね。

 

わかってるよ、大丈夫だよ、ありがとう。

 

でもね、

それは私の言葉じゃないよ。

めんどくさくてそう返事してるだけなんだって気がついちゃったんだよね。

 

ほんとは全然許せない。赦せてない

そんな自分が一番汚いと思う。

そんな自分を仕方ないと思う。

そんな自分が可愛そうと思う。

そんな自分が一番嫌いと思う。

そんな自分を認めるしかない。

 

 

5つに分かれた感情を子供がどう見てるのか。

反面教師でありたい。

ちゃんとした教師でありたい。

親になりたい。

それが怖い。

 

今一番の悩むこと。

旦那にも子供にも愛されてるのかちゃんと愛せてるのかわからないという事。