橘屋の記録

色々な日常的な呟きとヲタ話。腐ネタ嫌いな方は見ないように

命というもの

命というものはとても軽くて重いもの

誰かの手によって消されるものもあれば、自分で消えてしまうもの

戦って戦って失うものもあれば、何もしないのに勝手になかったことにされるものもある。

 

あるとき

寒い冬でした。雲の流れも早くやたらと空が青かった。

寒さで白くなった手を擦りながら開けた教室は、吐く息よりも白く
尖った色をしていた。

 

何故机の上に花があるんだろう。小さな花瓶に小さな増加の菊の花
黒い縁取りをした額の中にはいつの時のだろうか笑っている顔が悲しい。

それにきれいに白と黒でリボンをかけてくれた。誰か。

 

そして濃い緑色した黒板に「死んでくれてありがとう」と名前付きのメッセージ。

昨日まで挨拶してくれた友人と思っていたモノたちが笑いながら儀式を行う。

なんちゃってのお経を唱える野球部のイガグリ頭。

お焼香のまねをしてチョークの粉を用意してあるのか列をなし。

 

声のない悲鳴が脳内を蔓延するころ

 

だれも止められないまま、【本人不在の葬式】が始まる。

悲鳴がサイレンの様に鳴り響き涙も声も出ないまま廊下に走り出した。

 

助けて助けて助けて助けて。

シラナイ間に自分が殺されている。

少なくとも自分のクラスで共に過ごしてきた人達は自分が死ぬことをこんなにも楽しそうに祝う様に望んでいた。

 

絶望という色なのか暗い闇に目の前が見えない。

鼓動とサイレンのような心の悲鳴と、吐き出せない呼吸。呼吸する事を拒絶する自分

 

死ねばよかったのかな。

どこかで

死ねばよかったのかな。

今ココで

 

ほんのすれ違いから勘違いから、確認されることすらなく、否定されることもなく

疑われていた自分。

命を否定されるような事をした覚えもない自分。

 

遠くでなるサイレン

遠く遠く遠のいてしまえばいいと思った、微かな意識の中で。

 

誰も追ってこなかった。

 

冗談のわからない奴、冗談だったのに。冗談でやっただけなのに

チクってると思ってた。どうせ俺らを見下してた

 

違うんだよ。と今なら言えるだろう。

でも

皆の心はきっと

自分が何を言っても変わらなかっただろうね。

 

私を殺すことで一致団結したあのクラスのあの日の出来事は

今も私を苦しめている。

 

知ってほしい。

 

イジメられた側は永遠に忘れない。

イジメた側は「冗談だった」「悪気はなかった」「やりすぎただけ」と口実を作っては忘れていく。

 

私は大人になった。

子供があの頃の自分と同じ年になろうとしている。

無視して、あの日あざ笑った親友と思っていたモノ達のあの顔を

私は一生忘れない。

 

大人になってもあの絶望は忘れない。

受け入れることなどできない現実。

それでも私は彼らを赦した

 

赦された彼らが

 

その後どうなるかわかっていたから赦せた。

 

 

今、時折思い出すが

あれだけ立派な葬式を挙げてくれた元友人たちのあの喜色満面な笑顔。

鏡で見せてやりたかったな。

どんな顔してたかなんて

楽しんで人の不幸喜んでる自分たちだけじゃわからないものだからね。

 

 

生きてる今。

まだ心が疼くし、痛むときもある。

イジメの話を聞くたびに思うよ

 

遊びの延長上で人の命を軽く見てるなあ。

 

 

今は昔よりもっともっと

 

命の価値が下がってる。

下がって下がって。地に落ちたら

 

 

また誰かのお葬式が行われるのかな。

 

 

私のように